境の紅葉
『那須記』巻の三に、西行法師(さいぎょうほうし)が奥州藤原秀衡(ふじわらのひでひら)を訪ねた帰り鍋掛に宿り、「中野楓」の評判を聞き、その地(中野)を訪ねて美女と問答し、美女は「古き人の申伝へには万葉綿木と伝へて候」と答えて姿を消し、それに感じた西行が、
尋ぬれば 青葉の梢色濃くて 何もたへせぬ にしきなるらん
と詠んで立去ったとある。また『那須記』には「誠に名木なり。春は梢紅にして葉黄色なり、秋は梢黄にして大葉紅なりと言ふ。四季に替り五色となり、錦をさらすに異ならず」と記している。
楓は明治19年(1886)の鉄道敷設(ふせつ)工事の際に切られ、そのひこばえを移植したが、平成12年(2000)枯死してしまい、3、4代後の実生(みしょう)の若木を現在育成している。かつて、下中野と島方の村境にあったためこの名がついた。室井家文書では「阿弥陀紅葉」と記され、吉野の紅葉峠から移したとある。歌碑も現存し、「文治五年五月」(1189)と刻してある。下の句は「いつもたへせぬ」と刻んであり、これが正しいかも知れない。
名称
境の紅葉(さかいのもみじ)
指定年月日
昭和47年(1972)10月25日
指定別
市指定
区分
記念物
種別
史跡
所在地
那須塩原市島方152
所有者
個人所有
地図リンク
この記事に関するお問い合わせ先
教育部 生涯学習課 文化振興係
〒329-2792
栃木県那須塩原市あたご町2番3号
電話番号:0287-37-5419
ファックス番号:0287-37-5479
お問い合わせはこちら
- より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
-
更新日:2021年11月30日