芦屋道満の解脱塔

芦屋道満の解脱塔
熊川沿岸の丘の上に約4メートル四方の塚があり、「解脱塔」と書かれた石碑がある。解脱塔は明治の末期頃、沼野田和・金乗院(こんじょういん)の信浄和尚(しんじょうおしょう)が芦屋道満の霊を慰めるために建立したものである。石碑の裏に3基の小さな五輪塔があり、これが「芦屋道満の墓」と伝えられている。
芦屋道満は、平安時代の吉凶を占う陰陽師(おんみょうじ)である。当時の天文博士は賀茂保憲(かものやすのり)で、その高弟に芦屋道満と安部保名がいた。保憲の死後2人は法力争いをし、初めは道満が優勢であったが、保名の子晴明が成人し、道満はその法力争いに敗れ、その上賀茂家の秘伝書をだましとっていたことが露見したため、道満は都にいたたまれず那須野ヶ原に隠れ住んでいたが、発見されて処刑されたと伝えられている。
芦屋道満にまつわる伝説は、中世文学や浄瑠璃・歌舞伎等で取り上げられることが多く、各地に「芦谷塚」「道満塚」「道満井」の類が多く残る。
名称
芦屋道満の解脱塔(あしやどうまんのげだつとう)
指定年月日
昭和44年(1969)1月1日
員数
1基
指定別
市指定
区分
記念物
種別
史跡
所在地
那須塩原市沼野田和605-8
所有者
個人所有
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更新日:2021年11月30日