塩原(要害)城跡
平安時代より塩原の地は宇都宮城主の領地で、塩谷氏の一族の塩原氏が地頭であった。保元元年(1156)頃に「八郎ヶ原」舘を構えていたが、治承2年(1178)箒川と善知鳥沢(うとうざわ)との合流点の高台に塩原(要害)城を築いたと言われている。
鎌倉時代に入り、長沼(ながぬま)(小山(おやま))宗政(むねまさ)の領地となり、塩原氏はその支配下で領地を守ってきたが、その後、宇都宮系の君島信濃守(きみしましなののかみ)、小山系ともいわれる橘伊勢守(たちばないせのかみ)の支配を受け、文亀2年(1502)会津芦名氏(あしなし)の傘下であった小山出羽守(おやまでわのかみ)が一時城主となったが、戦国時代に宇都宮家臣の塩原越前守(しおばらえちぜんのかみ)が大改修を行ない、ほぼ現在の城郭になった。しかし慶長2年(1597)、宇都宮氏の改易(かいえき)と共に、約420年続いた塩原城も廃城となった。
城郭は東西約300メートル、南北約250メートルに及ぶ塩原最大のもので、約40メートルの断崖が自然要害になっている。その中心には約30メートル四方の本丸を置き、虎の門や馬出しを設置、外敵に備え空堀(からぼり)を二重に廻し、大手門にあたる本丸には、南北約100メートル、高さ約5メートルの土塁を築いた強固な城構えとなっている。
名称
塩原(要害)城跡(しおばら(ようがい)じょうあと)
指定年月日
昭和50年(1975)3月3日
指定別
市指定
区分
記念物
種別
史跡
所在地
那須塩原市上塩原1002
所有者
個人所有
見学にあたって
駐車場なし
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更新日:2021年11月30日