北弥六の大輪地ヶ原絵図

更新日:2021年11月30日

大輪地ヶ原を三分するように2本の線がひかれた北弥六の大輪地ヶ原絵図

北弥六の大輪地ヶ原絵図

大輪地ヶ原(大輪地原)は那須野ヶ原の一部で、現在の戸田付近から豊浦付近に至る、総面積約5,500町歩(約5,454ヘクタール)の原野の総称。江戸時代にはあたり一面は広大な原っぱであった。

当時、大輪地ヶ原は、隣接する大田原藩領18か村と徳川幕府領26か村の合計44か村の入会地(馬の飼料や屋根にふくカヤ・畑の肥料などとなる草を刈り取る共同利用の土地)の場所であった。その境などの諸問題から、大田原藩領と幕府領との村々間でたびたび争いが起こっていた。

この絵図は宝暦7年(1757)4月に争いが解決した際に作成されたもので、双方の代表であった大田原藩領側の箭坪(やつぼ)地区と幕府領側の北弥六地区にそれぞれ現存している。大輪地ヶ原を三分するように2本の線がひかれ、それぞれの権利等を定めたものと推測され、入会地の重要さを示す貴重な地図である。

名称

北弥六の大輪地ヶ原絵図(きたやろくのおおわじがはらえず)

指定年月日

昭和58年(1983)11月15日

員数

1点

指定別

市指定

区分

有形文化財

種別

古文書

所有者

個人所有

この記事に関するお問い合わせ先

教育部 生涯学習課 文化振興係

〒329-2792
栃木県那須塩原市あたご町2番3号

電話番号:0287-37-5419
ファックス番号:0287-37-5479

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