引久保百観音堂棟札
塩原の地を支配していた君島信濃守(しなののかみ)との戦いに勝利し、塩原城主となった橘伊勢守(いせのかみ)は、文明14年(1482)に君島氏との戦いで戦死した兵を弔うため、塩原要害城から表鬼門の方角に当たる引久保の地に、1間四方の観音堂を建立した。
橘伊勢守は、寄木造りの本尊薬師如来座像・阿弥陀如来座像の他に、一木造りで西国観音像三十三体と坂東観音像三十三体を制作し、僧侶や嫡子、村人の名を納め奉納した。
その事実を記した棟札は、長さ140センチメートル、幅33センチメートルに及ぶ大きなもので、表に創建日や堂の大きさ等が書かれ、裏には観音像を奉納した人々の氏名が書かれている。
当時の村の状況及び戦乱の様子をうかがうことができる、貴重な歴史資料といえる。

引久保百観音堂棟札(表)

引久保百観音堂棟札(裏)
名称
引久保百観音堂棟札(ひきくぼひゃくかんのんどうむなふだ)
指定年月日
平成23年(2011)5月9日
員数
1点
指定別
市指定
区分
有形文化財
種別
歴史資料
所在地
那須塩原市上塩原418
所有者
妙雲寺
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更新日:2021年11月30日