下大貫の一里塚(一対)
この一里塚は、元禄8年(1695)に整備された会津中街道に設置されたものである。会津中街道は、天和3年(1683)の日光大地震により会津西街道が通行不能になったため、その代替として当時の会津藩主松平正容(まつだいらまさかた)によって整備された。奥州街道の氏家宿から矢板宿、板室宿などを経て、那須山中の三斗小屋宿、標高1,468メートルの大峠(おおとうげ)を越えて、松川宿などを経て会津若松に至る街道で、開通当初は参勤交代や会津藩の廻米運送に利用された。
下大貫の一里塚は、現在確認されているところ氏家宿から数えて7番目に当たるもので、現存するものでは矢板市荒井の一里塚の次に位置し保存状態も良好である。東側の塚は底辺が12.5メートル〜13.2メートル、高さが約1.6メートルで、西側の塚は底辺が11.3メートル〜11.4メートル、高さが約2.5メートルである。
下大貫の一里塚
名称
下大貫の一里塚(一対)(しもおおぬきのいちりづか(いっつい))
指定年月日
昭和43年(1968)10月23日
員数
2基
指定別
市指定
区分
記念物
種別
史跡
所在地
那須塩原市下大貫1114、那須塩原市下大貫1119
所有者
個人所有
見学にあたって
駐車場なし
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更新日:2021年11月30日