赤田山
赤田山は標高310.9メートルの丘で、肇耕社(ちょうこうしゃ)(後の三島農場)にとって、非常にゆかりの深い丘である。
明治13年(1880)、三島通庸(みしまみちつね)(後の栃木県令・警視総監、子爵(ししゃく))を中心とした人々は結社農場を組織し、この一帯1,037町歩(約1,028ヘクタール)を国から貸下(かしさ)げを受け、開拓事業を始めた。那須野ヶ原における最初の大農場である。同年、三島通庸は農場を視察し、見晴らしの良いこの丘に上がって開拓の構想を練った。翌年6月、三島は再びこの丘に上がり、この時次のような歌をよんだ。
神代より荒れし那須野を拓(ひら)きつつ 民栄えゆく里となさなん
明治22年(1889)になって、三島通庸ゆかりの九州・都城(みやこのじょう)(宮崎県)の母智丘(もちお)神社の神体(神鏡)を複製して奉納した。神社の扁額は、明治初期の太政大臣三条実美(さんじょうさねとみ)の筆になる。なお「赤田山」はすでに、江戸時代の地図に記されている。
名称
赤田山(あかだやま)
指定年月日
昭和39年(1964)10月1日
指定別
市指定
区分
記念物
種別
史跡
所在地
那須塩原市上赤田238
所有者
那須塩原市
見学にあたって
駐車スペースあり。
この記事に関するお問い合わせ先
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〒329-2792
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更新日:2021年11月30日