狭間城跡

文明8年(1476)、塩原(要害)城を居城としていた橘伊勢守(たちばないせのかみ)の出城として築かれ、文亀2年(1502)まで使用していたとされる。橘伊勢守は名門小山氏の一族と言われ、突如塩原地方に侵攻を開始し、土着の地侍である塩原氏等を抱きこみ徐々に勢力を拡大し、ついに塩原(要害)城を奪取。さらに箒川を挟んで離室城主(はなれむろじょうしゅ)君島信濃守(きみしましなののかみ)一族と激しい攻防戦を展開し、文明7年(1475)の決戦ともいうべき戦場(せんば)の戦いで伊勢守方が大勝し、狭間山に支城を築き「狭間城」とした。
西側には天然の要害、後ろには山を背負い、城からは塩原盆地を一望することができ、守りに固く攻めには困難な「地の利」をしめた城であった。
城郭は東西約120メートル、南北約200メートル、本丸は大円形をなし、その周囲に空堀をめぐらせ、箒川の断崖に竪堀を幾筋もつくり、二の丸は三日月型の強固な土塁を持ち、東側には2基の物見台、西側は馬出しや大手門が位置し、約5メートルの土塁を張りめぐらせ、深い天然堀に囲まれた山城の構えになっている。
名称
狭間城跡(はざまじょうあと)
指定年月日
平成9年(1997)3月31日
指定別
市指定
区分
記念物
種別
史跡
所在地
那須塩原市塩原1157
所有者
個人所有
見学にあたって
駐車場なし
この記事に関するお問い合わせ先
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更新日:2021年11月30日