高尾塚碑

高尾塚碑
高尾とは江戸時代の三浦屋に抱えられた太夫の名で、吉原では最も有名な名である。高尾の名はその名にふさわしい女性が現れると代々襲名された。高尾太夫が何代まで続いたかは諸説あり、六代とも十一代ともいわれており、代々の高尾太夫の生没年や経歴についても諸説あり判然としないが、才色兼備の名妓ゆえに、歌舞伎・講談などの題材にも多く取り上げられている。
その中でも特に有名だったのは、多くの挿話が残る二代目高尾(仙台高尾)であり、この二代目高尾は塩原塩釜の出身であるといわれている。二代目高尾の晩年についても、病により十九歳の若さで没したとする説(妙雲寺には「寒風にもろくもくつるもみじかな」の辞世の句碑がある)や、落籍後仏門に入り七十七歳まで生きたとする説などがある。
この石碑は、塩釜出身の「高尾」の没後150年余を経て、その身を哀れんだ妙雲寺の住職と和泉樓の主人が、江戸の儒学者「山本北山(やまもとほくざん)(1752~1812)」に撰文を依頼、文化13年(1816)高尾の生家の子孫「太七」が施主となって建立された。
碑文には高尾の生い立ち、三浦屋時代の名声、高尾にまつわる挿話や落籍後仏門に入り没するまでの経緯等が綴られている。
名称
高尾塚碑(たかおづかひ)
指定年月日
平成11年(1999)6月23日
員数
1点
指定別
市指定
区分
有形文化財
種別
歴史資料
所在地
那須塩原市塩原283-2
所有者
個人所有
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更新日:2021年11月30日